朝から親父が来てくれて、フローリング工事の第2期。
2階オフィス部分はフローリング化しているのだが、1階のキッチンを仕上げるのである。
さわちゃん、がついてきた。
彼女のことを説明しなければならない。
僕の母は 民生委員をしている。
具体的な民生委員の仕事が何かということは、ケースバイケースなので一概に「これ」とは言えないが、要約すると多分こうだ。
「地域で困っている人を無償で援助する。行政は民生委員に協力するが権限は与えない。市長の推薦で厚生労働大臣の直接委託を受ける。」
さわちゃんは高校3年生で卒業式を間近に控えている女の子で、高校は僕と同じ県立高校なので後輩だ。
2つ年下の妹がいて、父親と3人で暮らしている。
母親は統合失調症を患って長期入院をしていて、寛解はするが完治まで至らないので今も入院している。
父親はアルコール中毒で、昨年まで飲酒運転による傷害事故を起こし服役していた。
そして昨年の秋には、酒を飲んでさわちゃんを包丁で刺した。
幸い命に別状はなかったものの、彼女の心にははかり知れないほどの傷が残されたはずだ。
さわちゃんの家まで、僕の家から徒歩5分。
ご近所さんだ。
彼女たちの現状を知った母親は、民生委員として関わることになった。
僕の母親は、7年前まで専業主婦だった。
詳しいいきさつはよくわからないけど、妹が大学生になり家を出てから放課後保育(学童保育)の指導員になった。
3年前から指導員の代表として運営もしている。
彼女には保育士の経験や、ソーシャルワーカーとしての経験はもちろんない。
僕の知る限り、彼女は彼女なりにカウンセリングや教育原論、教育法や福祉法などをずいぶん熱心に勉強していた。
学生時代の僕の専攻がカウンセリングということもあって、休みの度にぶつぎりで学んだ彼女の知識を体系にまとめてあげる、という作業をしていたこともある。
結局、さわちゃん姉妹に対して彼女がしていることと言えば、療法としての関わりではなくて「当たり前のように家族と接すること」だ。
朝、お弁当を作って届けて、学校まで送り迎えをする。
妹は別の学校に通っているので、親父がさわちゃん、お袋が妹を車に乗せて送り迎え。
夕方、親父が迎えに行くか自力で戻り、お袋の児童クラブで手伝いをしたりする。
夕飯を僕の家で親父とお袋、さわちゃんと妹と食べて、23時くらいに帰る。
さわちゃんたちは家に帰って寝るだけ、という生活。
昨年末からさわちゃんの父親は行方不明になっている。
正月に相棒と帰省したとき、大晦日から3ヶ日もさわちゃんたちは僕らの妹のように過ごした。
そこにいる当たり前の家族のように接して、楽しくわいわい過ごした。
お袋はさわちゃんたちが帰ると、涙を浮かべて「あの子達がどんな気持ちで布団に入ってるかと思うとねえ・・・」と鼻をすする。
賛否両論はあるでしょうが、これがお袋の選んだ関わり方だ。
僕たち接するように、さわちゃんたちに接している。
生活をするということ。
一緒にいるということ。
いろいろなカウンセリングの手法やかかわり方が理論やプログラムとして世の中に紹介されているけど、つまりは愛情なのだ。
見返りを期待することなく、愛情を注いであげること。
さわちゃんはどう感じているかは僕にもわからない。
6畳しかない僕の実家の今でたらふくご飯を食べてみんなひっくり返ってテレビを見ている。
親父・お袋・兄貴・妹・僕・相棒・さわちゃん姉妹。
こたつは4面しかないのに、8人が足をつっこんでぎゅうぎゅう詰めになってテレビをみている。
(お袋、みかんを食べながら僕に向かって)「あんた、髪の毛染めると精子が死ぬよ!」
(僕、相棒に顔を向けて)「死ぬよ!死ぬ死ぬ!困った困った!」
(相棒、僕とお袋の顔を見比べて)「え・・・あの・・・。」
(兄貴、相棒にむけて)「なあーほんとデリカシーがないよなあ。ぐびり。あーもうビールないなあ。」
(親父、わき腹をぼりぼりとかきながら)「ふごっ、ぐわー。ぐわー。ぷすー。」
(妹、アイスクリームを食べながら)「ちょっと、今テレビいいところなんだから静かにして!」
いつもの僕ら家族の表情。
さわちゃんはこの時、静かに涙を流していた。
お袋がどうしたの?と尋ねる。
「だって、こういうのが家族なんだなと思って・・・。」
そんなさわちゃんが、親父にくっついて僕らの新居にやってきた。
親父の仕事ぶりをじっと見つめて、キッチンの床がデコラ張りから板張りに変わって行くのを食い入るように見つめていた。
彼女のこれからがどうなるかはまったくわからないけど、僕の家族全員でいられるだけいっしょにいてあげられたら、と思う。
豊かさや、幸せとはなんだろう?
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