熟議(じゅくぎ)カケアイ宣言
子どもたちは、どう育ち、育てられ、未来の日本をつくっていくのでしょうか。
今、この国の教育は大きな困難と不確実な岐路に立っています。
複雑で多様な問題をどのように解決し、どんな将来像を描いていくのか。
文科省の教育政策にとっていちばん必要なもの。原点にあるもの。
それは、ビビッドでリアルな現場の声にあると考えました。
教育者、保護者、市民、識者、教員をめざす若者たちの声やつぶやきが集まり、自由に議論される場をつくる。議論が議論を呼び、「熟議」されていき、政策形成が確かになっていく。そして、その政策が次の入り口になっていく。
この市民主役のプロセスこそ、今、求められており、実行しなければいけないものだと考えました。
熟議カケアイ。参加してください。
子どもたちの教育が変われば、日本の未来が変わります。
(熟議カケアイ、トップページより転載)
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文部科学省で鈴木副大臣のリーダーシップのもと、熟議カケアイが始まった。
光栄にも僕はこのプロジェクトに文科省から委嘱を受け、民間登用のファシリテーターとして関わりを持たせてもらっている。
誰かが決めたことを「守らされる」「やらされる」ことから、自分たちで決めたことを「守る」「やる」という行政と市民(ここでは市民とします)の受動的な関係性から、主体的な関係性に変わろうとする日本の民主主義にとって非常に重要な機会がやってきた。
ただ単に、「みんなで決めましょう」ということではない。
これは、僕たちが市民として、社会の構成員として自分が一体何ができるのか、ということを僕たち大人が学ぶことができる機会なのだ。
これまでは他人事だったかもしれない。
「学校教育を変える?私にはできない。したいけど無理だろうし、そもそも直接的に関係ない。」
こんな考え方を変えることができる機会なのだ。
「学校教育を変える?なるほど、熟議しよう。直接的・間接的に私ができることはなんだろうか?」
というふうに。
未来の子どもたちは、僕たちが育むんだ。
みんなで育むんだよ。
できることはないかもしれない。
おこがましいことかもしれない。
お節介なことかもしれない。
でも、何かしなければ始まらない。
一体自分にできることはなんだろうか?
職業人として、親として、個人として自分がこの国に貢献できることは何だろうか?
僕はファシリテーターだから、ファシリテーターとしてこの国に貢献する。
ナショナリズム、とか、愛国心なんかは抜きにして、僕は僕ができることを、僕の立場で精一杯やるだけだ。
熟議カケアイ、ぜひ参加してください。
:)
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