プロジェクト結、エデュケーショナル・フューチャーセンター(EFC)の活動として石巻を訪れるのも、これで4回目。
今回は湊水産の会議室をお借りする。4月2日に最初に訪れてから1ヶ月。瓦礫と汚泥にまみれた湊水産も、この連休から営業を再開する。石巻市湊地区では最も早い営業再開ではないだろうか。
今回の同行者はEFCから中川綾、カメラマンのたかはしじゅんいちさん、ヒーラーの本郷綜海(そみ)さん、プロラガーマンの西山淳哉さん、JICAシリアで新体操を教える浅見早登子さん、プロフェッショナルファシリテーターの松本潤二さん、プロバスケットボール選手の岡村憲司さん、元女子バスケットボール選手の神事真規子さん、絵本画家の伊勢本ゆうきさん。
(撮影:長尾彰)
4日の23時に下北沢を出発して、鳴瀬奥松島ICで仮眠。
5日8時に石巻駅で本郷さんと、同じく石巻駅でブラジルから強行日程で石巻入りした佐藤琢磨(スポーツビズ)さんチームと合流する。
「今週の湊水産」シリーズもこのカットで4枚目。
4月2日にお邪魔してから1ヶ月。
周辺の状況と比べるとこの会社がとても速いスピードで復興に向かっているのがよくわかるほどの綺麗さ。
(撮影:たかはしじゅんいち)
前回に引き続き、今回も僕が運転してきた軽トラック、ドンマイ号。
知人の高橋新志さんから貸与いただき、現地で活動する渡辺くんに渡すためだ。
荷物を満載して東北道を突っ走った。
石巻や女川、南三陸など津波被害が甚大で道路状況がまだ復旧していない場所では、軽トラが最も使い回しがいい。
大型車が入れない住宅街や路地など、軽トラであれば入っていける。
燃費が良く、構造もシンプルなので故障が少ない。
スバルのサンバー、特に雷ダンプなど、スペックを見ているだけで心が踊る。
(撮影:たかはしじゅんいち)
琢磨さんはWith you Japanをたちあげて、アメリカからこの震災に見舞われた子どもたちをサポートしようとしている。
今回はとにかく自分の目で被災地を見て子どもたちと接したいという想いを持っての緊急帰国となった。
ブラジルでのレースを終え、その40時間後には被災地入りをする、という強行スケジュール。
石巻市内でも特に被害が甚大な沿岸部(渡波、門脇地区)をまわり、日和山公園から市街地を見回した。
写真は門脇地区から海を臨むアングル。
奥に見えるのは高さが10メートルほどの瓦礫の山。
まるで堤防を作るかのように、市内から集められた瓦礫を積み上げていた。
(撮影:たかはしじゅんいち)
午前中は石巻市立広渕小学校で石巻子ども避難所クラブの柴田さんと合流。
広渕小学校に避難している方はつい最近、石巻専修大学から「避難所の引越し」をしてきた方たち。
石巻市役所と鳥取県の職員が避難所をサポートされていた。
広渕小学校区は津波の被害はなく、校庭も十分に広かったためさっそく外遊び。
(撮影:たかはしじゅんいち)
琢磨さんがスポンサーであるグリコからの物資を渡す。
僕たちは持ってきたしゃぼん玉で遊ぶ。大人も子どもも、外に出てしゃぼん玉で遊ぶ。
最初はシャイだったお父さんたち。
琢磨さんを遠目にしながら、「うおっ、すげー。うおっ、ほんものだっ!」と小声で囁く。
とあるお父さんが意を決して「サイン下さい!」とマジック片手に琢磨さんに話しかける。優しく琢磨さんは応じる。
次々とお父さんたちが琢磨さんを囲む。
そのまわりで子どもたちはお母さんやおばあちゃんとしゃぼん玉で遊ぶ。
子どもたちは琢磨さんのことを知らない。
お父さんたちは琢磨さんのすごさを熱っぽく子どもに語る。
「いいか?琢磨さんってのはだな、宇宙飛行士みたいなもんなんだ!」「ふーん。」というやりとりがそこかしこで見られた。
大人に笑顔が生まれると、特に父親に笑顔が生まれると子どもたちの笑顔も増える。
母親に笑顔が生まれると、周囲が優しい雰囲気になる。
(撮影:たかはしじゅんいち)
広渕小学校で避難所運営を務めている石巻市役所の職員、保原(ほばら)さんの計らいで、副市長を訪問することになった。
石巻駅前の庁舎にお邪魔する。休日にも関わらず、庁舎は多くの人が行き交っている。他府県のゼッケンをつけた職員が多い。
北村副市長は行政としての苦悩を明かしてくれた。
同時にそれらの問題(避難所の運営、社会的弱者の支援、産業・漁業・農業の復興、学校再開に伴う課題解決)は、行政だけが担うものではなく、熟議の末に「結」を通して復興していくべきことなのだと思う。
「行政改革により職員の数が減り、手元の事に対応するのが精一杯。子どもの支援など、ぜひ協力いただきたい。」と言葉をかけていただく。
後日、教育委員会と福祉課の担当者にお会いし、放課後支援の具体策について協議を行うことになりそうだ。
(撮影:たかはしじゅんいち)
南三陸町立伊里前小学校にお勤めの阿部正人先生に会いに行く。
お住まいは南三陸町との境、気仙沼市本吉地区小泉。
避難所である小泉中学校に向かう。
阿部先生とは昨年の4月、東北青年塾でのワークショップにお呼び頂いたときにお会いしていて、EFCのコアメンバーである岩瀬直樹先生や甲斐崎博史先生と宮城アドベンチャープログラムで繋がっています。
その御縁もあり今回の訪問となりました。
(撮影:たかはしじゅんいち)
小泉中学校の避難所は高台の上にあり、気仙沼の市議会議員、及川善賢(よしたか)さんにお話を伺うこともできました。
琢磨さんは避難所の子どもたちとお話。
阿部先生の声がけで、避難所の中でみんなで記念写真。
(撮影:たかはしじゅんいち)
写真でもわかるとおり、小泉(旧本吉町)は陸前小泉の駅をはじめとして壊滅状態です。
距離にして15㎞離れた気仙沼市内でこのような津波が襲っていたことを考えると、より沿岸沿いの小泉地区にどれだけの津波が襲いかかっていたかは想像に難くない。
市議の説明では、高台にある中学校の校庭ぎりぎりまで津波が駆け上ってきたとのことだった。
(撮影:たかはしじゅんいち)
小泉中学校の校庭では仮設住宅の建設が進められていた。
阿部先生の話では、4月30日の段階で240名位が避難していて、連休の間に県外の親類などを頼って避難所を出る方が増え始めているとのこと。
既に旧津谷川小学校(一関市)に100名位が移転し避難中で現在校庭に93棟の仮設住宅を建設中。
仮設住宅の数は足りていない、とのこと。
(撮影:たかはしじゅんいち)
我々が小泉中学校でスクールバスなどの調達や運行について阿部先生と打合せをしている頃、たかはしじゅんいちさんは松本さんと浅見さんと共に車で15分ほどの志津川高校に出かけて行った。
たかはしさんが進めているバックアップセンタージャパンの活動を通して知り合った、南三陸町在住の板前さんと炊き出しについての打合せをするためだ。
写真は志津川高校からのカット。
震災当日、この場所から この動画が撮影された。
(撮影:たかはしじゅんいち)
2日目の午前中は、石巻市立住吉中学校の竹内先生を訪ねる。
文科省の「子どもの学び支援ポータルサイト」を通して避難所にファクシミリを要望されていたため、お届けにあがる。
たった1個のファクシミリだけれど、避難所の方々には役場職員の方も含めて丁寧なお礼をいただいた。
竹内先生のスーツに付いたチョークの粉が、「学校再開」を物語っていて嬉しくなると同時に、まだ450人の被災者が避難生活を強いられていることを思うと、複雑な課題をどうやって解決していけばいいのか自分の無能力さに気持ちが沈む。
竹内先生のTwitterのプロフィールを拝見し、元気になりました。
(撮影:長尾彰)
ラガーマンのにしやんこと西山選手と、トコこと浅見さんはこの日は我々とは別行動をとっていた。
彼らは午前中、門脇中学校を訪問、午後は石巻こども避難所クラブの活動をしに石巻市立蛇田小学校を訪れていた。
その時の模様は西山さんのブログと浅見さんのブログからどうぞ。
アスリートである彼らの素晴らしいところは、「自分で考えて自分で動ける」というところ。
あたりまえのことだけれど、一番難しいこと。
そしてさりげない気遣いを忘れない。
きっとにしやんたちの別行動でも、いろいろな出来事があったんだろうと思う。
我々は石巻市立大原小学校に向かう。
写真は牡鹿半島中腹の小網倉浜地区。
(撮影:長尾彰)
曇り空の下、打ち上げられた漁船に大漁旗が靡く。
港では地域の漁師が懸命に港を修繕をしていた。
陸に打ち上げられた船から、プロペラを外すために打ちつけるハンマーの音が周囲に谺している。
地図で見る限り、とても小さい地域だけれど、確かに人が暮らしていた(暮らしている)皮膚感や息遣いがそこにある。
(撮影:長尾彰)
大原小学校には、津波で校舎を失った谷川小学校が空き教室を借りて1つの校舎にふたつの小学校が同居した形で新学期を迎えている。
4月21日にたかはしさんと中川が両校を訪問し、入学式の写真を撮影させていただいた。
その様子はこちらから。
今回は撮影した写真をプリントしアルバムに挟んだ写真をたかはしさんが届けるために訪問。
千葉校長、新任の先生、事務員さんも写真を見て歓声をあげる。
たかはしさんが世界的なカメラマンだと知ったら驚くんだろうな。
(撮影:中川綾)
谷川小学校には若い先生が多い。
全校生徒が14名から7名と減った(転校、転出により)ため、若い先生方も少し気落ちされているとのこと。
井上雄彦さんから預かった色紙をお渡しすると、やはりこぼれんばかりの笑顔が。
嬉しい。
さっそく事務員さんがビニール袋で封印し、触ろうとする教頭先生(写真左)をたしなめる。
千葉校長から、3月11日から14日までの出来事をお話いただく。
自身が最後に学校を後にしたとき、呑み込まれていく校舎が見えたこと。
無我夢中で走ったこと。
雪の降る中、濡れた生木に火をつけようとして苦心したこと。
子どもたちは何も言わず、ただ丸くなって煙ばかりが出る火を囲んで朝を迎えたこと。
空が白み、朝が来たときのなんとも言えない安堵感と無くなってしまった街をが見えてしまい驚いたこと。
山の中を子どもたちと先生方と手を取り合って5㎞先の集落まで歩いたこと。
3日間、誰とも連絡が取れず、職員の家族が探しに来ていて絶望視されていたこと。
3日目に自宅に帰ったときに、「化けて出たか」と思われたこと。
地域そのものが無くなってしまったこと。
それでも何とか学校再開にこぎつけたこと。
千葉校長は淡々とお話される。
僕は涙を堪えるのに唇を噛み締める。
(撮影:長尾彰)
大原小学校にも写真を届けるたかはしじゅんいちさん。
サッカーボールも届ける。
子どもたちは嬉しそう。
(撮影:長尾彰)
早速アルバムを手繰る子どもたち。
2ページ目以降は真っ白なアルバム。
「新しいアルバムをみんなでつくっていこうね」と、じゅんさん。
いつか彼らが大人になったときに、このアルバムを開いたとき、何を思い出してくれるのだろうか。
(撮影:長尾彰)
角めぐみさんから紹介を受けた「絵本を送るプロジェクト」から、小学生向けの絵本を3箱大原小学校のみんなにお届けした。
子どもたちはもとより、先生たちも熱心に「好きな本」を選んでいた。
新しい公共や熟議の関連で親しくさせて頂いてる国立教育政策研究所生徒指導研究センター長の神代さんから紹介頂いたsaveMLAK(saveMLAKは博物館・美術館(M)、図書館(L)、文書館(A)、公民館(K)(M+L+A+K=MLAK)の被災・救援情報サイト)によると、今回の震災で被害に遭った図書館の数は1125館のうち、165館。石巻市内で被害に遭ったのは13館。
一方で、学校図書館が被害に遭ったのは16校(石巻市教委による発表)。
本の支援をする場合には、ただいたずらに送るのではなくて本の分類方法である日本十進分類法に則って仕分けをした上で送る手立てを整えることが望ましいのではないかと思われる。
(撮影:たかはしじゅんいち)
九州からEFCを応援してくれている石山さんチームが集めてくれた文房具も、大原小学校にお届け。
大原地区もほぼ壊滅状態で物資もあまり届けられていないとのこと。
牡鹿半島は山間ということもあり、車がなければ石巻市内に買出しも出られず、文房具の調達に困っていたということで、文房具類も喜ばれた。
(撮影:長尾彰)
授業が終わり、放課後。
谷川小学校の子どもたちと、校庭で遊ぶ。
バスケットボールを体育館でやる予定が、地震で体育館のリングが危険な状態なので外遊びに変更。
岡村さんも神事さんも、子どもたちに笑顔で接してくれる。
(撮影:たかはしじゅんいち)
神事真規子さん。
名門、名古屋短大付属高校を卒業後、大和証券女子バスケットボール部に実業団選手として入部。
その後、三菱電機コアラーズに移籍、2005年3月に引退。
現在は女子栄養大学で栄養士になるための勉強をされている。
今回の石巻訪問にあたり、バスケグッズを集めてくださった。
その模様を日本代表アシスタントコーチの東頭俊典さんが紹介してくださっている。
東頭さん、我々を取り上げていただき光栄です。
(撮影:長尾彰)
神事さんを見上げる女の子は、唯ちゃん。
元気いっぱいに遊びまわっていた。
大きくなったときに、今日のこの日のことをどんな風に覚えてくれているだろうか。
今回限りの「イベント」にしないように、谷川小学校・大原小学校には継続的に関わっていく。
神事さんも、そのつもりだ。
唯ちゃん、また来るからね。
(撮影:たかはしじゅんいち)
谷川小学校の皆さんと、大原小学校の校舎の前で。
必ず、会いに行きます。
(撮影:長尾彰)
校庭での放課後を終えて、帰宅の時間。
帰宅と言っても子どもたちは避難所へ帰る。
千葉校長曰く、「避難所に帰っても子どもたちは遊ぶ場所が無い。できるだけ長く学校で預かって子どもたちを遊ばせて発散させてあげたい。」
市が借り上げた観光会社の小型バスで下校。
下校の前には、必ず千葉校長のお話。
今日のお話は「行為の意味」。
宮澤章二の詩。公共広告機構で繰り返し流されているので目にした方も多いはずだ。
-あなたの〈こころ〉はどんな形ですか
と ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも〈こころ〉は見えない
けれど ほんとうに見えないのであろうか
確かに〈こころ〉はだれにも見えない
けれど〈こころづかい〉は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の〈思い〉は見えない
けれど〈思いやり〉はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
〈心〉も〈思い〉も初めて美しく生きる
-それは 人が人として生きることだ
(撮影:長尾彰)
子どもたちは、小型バスで避難所に帰っていく。
見えなくなるまで手を振る。
彼女たちの避難所は、女川原子力発電所だ。
谷川小学校のブログは、3月11日を最後に止まっている。
このエントリーの3時間後に、津波がやってくる。
(撮影:長尾彰)
夕方近く、石巻市内に戻ってくる。
1ヶ月前に同じ場所から撮影した写真がこちら。
(撮影:たかはしじゅんいち)
上下の写真を比較していただきたい。
劇的・飛躍的な復旧は見られない。
現地に身を置く限り、「とてもきれいになった!」という感覚を持つが、実際に写真で比較してみると道路脇の汚泥と瓦礫が排除されたことと、走っている車が乗用車やバスになったこと、切れた電線が撤去されたこと以外は大きな変化はないことに気づいた。
(撮影:たかはしじゅんいち)
石巻市吉野、龍神神社。
国道からわずかに入ったこの場所も、1ヶ月前と何ら変わらない。
公共の場所の片付けはまだまだ手が入れられていない。
ここに、かの内田裕也氏も炊き出しに訪れた。
できれば今後、湊地区の公共の場所を片付けるお手伝いをしたい。
(撮影:長尾彰)
神社となりの自動車整備工場。
半壊であっても、商売の主が高齢者であったりすると、片付けもできずそのまま廃業するケースが相次いでいる、と湊水産の木村社長。
住宅地が着々と片付けられていくなか、石巻市役所のホームページを見られなかったり倒壊家屋の処理についての情報を得られない被災者は困窮しているはずだ。
この日の夜も、湊水産の会議室をお借りして休ませてもらう。
(撮影:たかはしじゅんいち)
3日目の午前中は、石巻市立石巻小学校で女川フィーバーエンジェルスと石巻中央ドリームズの震災後初、体育館でのボールを使った合同練習を支援する。
写真右は岡村憲司選手。千葉エクスドリームズ、大塚商会所属。
2006-07シーズンはヘッドコーチ兼任としてリーグ優勝に導き、コーチ・オブ・ザ・イヤーとMVP・ベスト5を獲得した、名選手であり、何より僕自身の高校バスケ時代の「アイドル」だ。
写真左は西山淳哉選手。IBM BIG BLUEに所属するプロラガーマン。
ニュージーランドでプロ選手として活躍し、現在はIBMに所属。
異種格闘技のようなこの絵面。
この強面を見て子どもたちは泣き叫ぶだろうと思いきや、子どもたちはすぐに懐いてしまった。
顔は怖いが瞳が優しいのがこの2人の特徴だ。
そして決して甘やかさない。
愛情に裏打ちされた厳しさを、このアスリートたちは知っている。
子どもたちも敏感にそれを嗅ぎとる。
(撮影:中川綾)
そしてもう一人。
熊谷渡さん。
昨年まで富山グラウジーズでプレーしていた、熊谷さん。
今回の練習は、この熊谷さんとの出会いがあったからだ。
4月16日、2回目の石巻訪問の際、石巻専修大学のボランティアセンターで話しかけてくれた熊谷さん。
「自分はバスケットボールの選手で、単身乗り込んできたんですが。」と話しかけてくれた。
すぐに携帯番号を交換して、やりとりをしながら形を整えて、あっという間にこの日を迎えることになった。
(撮影:中川綾)
早速練習を始める。
この3人に囲まれると、身長178センチの僕が小さく見える。
今回のバスケ、子どもたち以上に興奮していたのは、誰であろう、このわたくしです。
練習メニューは前日夜、神事さんが熱心に考えていらっしゃいました。
そこにコーチ歴のある岡村さんが激しく厳しく突っ込む、といった末に出来上がったこの日のメニュー。
(撮影:たかはしじゅんいち)
愛すべきアスリート軍団。
彼らは「困難を乗り越えた先にある物」が何かを知っていることが多い。
「困難な状況に陥ったときにどう接してほしいか」ということを知っていることも多い。
必ずしもすべてのアスリートがそうだ、というわけではないけれども、少なからず今回出会った5人のアスリートは、「共にある」ということを知っている。
それがすごく優しく、有り難い。
(撮影:たかはしじゅんいち)
大人げない岡村選手のダンクシュート。
ケダモノみたいな眼をしてダンクをかましてます、小学生相手に。
練習の最後は試合形式ですべての子ども達と対戦しましたが、事前の打ち合わせなどなく岡村さんも熊谷さんも神事さんも、一切子どもたち相手に手を抜くことはしませんでした。
あくまでも真剣勝負。
(撮影:たかはしじゅんいち)
というわけで、僕も真剣勝負。
ミニバスのゴールだからこそできるDUNK Shoot!
(撮影:たかはしじゅんいち)
ディフェンスも容赦ない。
腰の高いドリブルにはすぐ手を出してくる熊谷さんのディフェンス。
(撮影:たかはしじゅんいち)
すべての練習が終わったあとに、バスケグッズを進呈する。
神事さん、熊谷さんが集めたシューズ・Tシャツ・リストバンド・タオル・ボール・練習着・ユニフォーム、そして可動式のゴールセット。
そして井上雄彦さんからのスラムダンク、桜木花道の色紙。
井上雄彦さんとの出会いも記しておきます。
4月7日の午前中、僕は自宅近くのスターバックスで仕事をしていました。
井上さんの仕事場が我が家の近くで、50メートルほどのところにある、というのは正月の「プロフェッショナル仕事の流儀スペシャル」で知っていて、それまで何度か井上さんをこのスタバでおみかけしていました。
しかし声をかけられずにいたまま。
7日の午前中も、僕がスタバに向かうと井上さんがいらして、でも直接声をかける度胸はなくて、勇気を振り絞ってtwitterで呼びかけたところ、席を立って「井上です。」と声をかけてくださいました。
石巻のこと。
プロジェクト結のこと。
時間にして10分ほどお話をさせていただきました。
その後、メールのやりとりで女川フィーバーエンジェルスのことをお伝えしたら快く色紙とバスケットボールを寄贈してくださった、という経緯です。
高1の時に少年ジャンプでスラムダンクの連載がスタートして、バスケットボール部だった僕は、スラムダンクと共に成長した、と言っても過言ではありません。
仕事をするようになって、「道」のようなものを感じ初めてから連載が始まった「バガボンド」。
社会人になってからバスケをまだ諦められずに、悶々としている頃に始まった「リアル」。特に関係者からはリアルに登場するナガノくんにそっくりだと言われつつ。
「今のど真ん中の繰り返し」という言葉に後押しされている、この2ヶ月です。
井上さん、ありがとうございます。
(撮影:たかはしじゅんいち)
石巻中央ドリームズと女川フィーバーエンジェルス。
子どもたちはもちろん、涙を浮かべて喜んでくれたのは保護者の皆さんでした。
(撮影:長尾彰)
女川フィーバーエンジェルス。
何かをしたい時には、思い切って「助けてほしい」と声をあげたほうがいい、ということを教わりました。
スポーツを通して私たちは元気になれます。
身体を動かすことで私たちは笑顔が生まれます。
(撮影:たかはしじゅんいち)
石巻小学校でのバスケを終え、湊水産に戻る。
操業再開初日。
できたてほやほやのたらこをお土産にいただく。
4月2日にお邪魔してからわずか1ヶ月。
こんな風に操業再開できるなんて夢のようだ。
楽天市場の「愛情たらこのみなと」も店舗を再開させた。
嬉しい。
(撮影:中川綾)
最後に、改めてみんなで今週の湊水産。
まだまだ震災前の状態に戻ったわけじゃないし、課題も山積。
でも着実に歩みを進めている。
僕たちも、着実に歩みを進めている。
慌てずに結を進めていく。
次回の石巻での活動は、5月の下旬を予定しています。
引き続きの御支援をよろしくお願い致します。
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