引越しの準備を始める。
思えば僕の引越し歴は5回目になる。
富士から愛知県知多郡へ、高校を卒業して進学のため。
知多郡から東京都日野市へ、大学を卒業して某国立大学の研究課程に進学のため。
日野市から神奈川県足柄上郡へ、就職のため。
足柄上郡から東京都葛飾区へ、転職のため。
そして葛飾区から神奈川県厚木市へ、独立のため。
引越しは手間隙時間がかかるものだけど、区切りがつく儀式のようで好きだ。
初めての一人暮らしをするのにも、物件探しは一人でやった。
今となれば何も知らないでよくできたよなと思う。
ただ海が近い、という理由だけでその4畳半ユニットバスのアパートを選んだ。
東京に出てくるときは妹のところに転がり込んで、2Kバストイレ尽きのアパートで2年過ごした。
このときの引越しは、愛知から東京まで一人でトラックを運転して、当時付き合っていた女の子に手伝ってもらいながら荷物を整理してたっけ。
日野から神奈川に引っ越すときは、会社のワンボックスカーをかりて友達を乗せて何往復かした覚えがある。
神奈川から葛飾へ引っ越したのが1年前。
このときも自分のワンボックスカーで3往復して荷物を運んだ。
相棒と暮らし始めてたとはいえ、まだワンボックス3杯分の荷物で済んでいたのだ。
そして今回の引越し。
2人で1年暮らすということは、荷物も2倍になるということを学んだ。
青戸のマンションには階段がない。
僕らの部屋番号は401。
エレベーターなどはないため、当然階段を使って荷物を降ろすしかないのだ。
大掛かりな引越しプランを組んだものの、荷物の量が読めないのでいささか不安を抱きつつも引越し当日を迎える。
相棒、箱につめる人、僕、運ぶ人。
親父の2トントラックを路上に停めて、ひたすら階段を往復して積み込む。
途中で相棒の具合が悪くなったため、計画を前倒ししてとにかくトラックに積めるだけ積んで新居を目指すことにした。
1年間、ほとんど体を動かしてこなかったため、僕の体はすでに悲鳴をあげはじめている。クラッチを踏む左足がぴくぴくしているものの、渋滞の246を一路厚木へ。
新居はアパートとはいえ、みかけは普通の一戸建てなので階段を登るということも無い。
玄関の前にトラックを横付けして、ひたすら荷物を降ろす。
荷台を空にしてすぐに、近所のホームセンターに蛍光灯とガス台を買いに行く。
相棒の具合はますます悪くなっていくため、とにかく布団をひいて寝かせる。
あらかじめどのようなモノを買うか決めてあったので、事務的に買うだけ。選ぶ余地はもうない。
すぐさま新居に戻り、相棒がいる部屋の蛍光灯だけ取り付けて、あわただしく2往復目の青戸へ向かった。
ラジオでは日本代表がシリアと戦っていたが、僕は246の荏田あたりで渋滞と戦いつつ東を目指す。
時間は21時。
ひとりきりで黙々と荷物を積め、梱包し、運ぶ。汗だくで運ぶ。
何十回か階段を上り下りした後、時間は0時をまわっていた。
そろそろやめにしないと明日に響くと思い、1時過ぎに青戸を出発する。
さすがに下道で厚木にもどる気力はなく、四ツ木から首都高に乗り、東名に乗る。
2時30分に新居到着。
くたくただったので、シャワーも浴びずに布団に入る。
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