0歳から18歳まで、静岡県富士市で育った。
いつも北の方角には富士山がまさに「聳え立つ」場所で生まれ育った。
18歳で家を出て、1年のうちの数日を実家で過ごすようになるとそれまで当たり前だった富士山が大きく見えるようになった。
結婚して、家族ができて、東名のインターを下りて富士山の方角へ車を進めていたら、この山(景観)が僕のメンタリティに与えた影響は大きいことに気付いた。
元日を実家で家族と過ごす。
家族みんなが無事で、それぞれがそれぞれに問題を抱えながらも、健康でこたつを囲みながら新年を祝えるということは、実はとても当たり前でありながら当たり前ではなく有り難いことなのだと思います。
当たり前だけれど、大切なこと。
富士山の麓で育った僕たちだからこそ、今がある。
象徴としての山。
今、僕の家族がプロボカティブ・プロボジションを造ったら、必ず「富士山」が言葉として加えられるでしょう。
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