twitterを使うようになってから、どうもblogを更新をする気が起きない今日この頃です。
みなさん、いかがお過ごしですか?
僕といえば相変わらずで、日々右往左往して、迷ったり苦しんだりしながら楽しく暮らしています。
仕事の方面は相変わらず厳しくていつ潰れるか分からない状態だけど、なんとか今日も生きています。
とってもありがたいことに、この3年で撒いた種が、少しずつ芽吹いてきたようにあちこちからいろんなお声をかけてもらえます。
安易な道に流されることなく、自分がオススメできるプログラムを提供できるように精進するとともに、妥協をしないように気を付けていこうと思っています。
そりゃあお金は欲しいけど、している株式会社で始めて3年、どうやらお金というのはどうにかすればどうにかなるようです。
「やりたい、やりたくない、やれる、やれないじゃなくて、やるんです!」という意気込みで生きていけばどうにかなる模様。
家庭の方面は、いつの間にか風花は4歳、桃花は1歳と2ヶ月。
メグも子育てに追われて疲れているけれど、大病もなく元気です。
この頃の僕は、娘たちと遊んでいる時にたくさんのことを学んでいます。
できないことができるようになる、しらないことをしるようになる、そんなことを起こすためには、ほっといても起きるんだけどオトナが少し準備してあげると、割と簡単に人間はゼロから何かを生み出すようになるみたい。
抽象的でごめんなさい。
自由に仕事をし始めて4年目、仕事とプライベートの境界、みたいなものがなくなってきました。
それはきっとある人にとっては良い事だし、ある人にとっては悪しきことであるかもしれません。
でも僕はもう、何かを「分けて考える」ことはやめたので、「仕事だから」とか「プライベートなことなので」と分断して考えることはしていません。
いいじゃないですか、自然のままで。
と思いながら日々過ごしています。
例えば、分けて考えると僕にとってはいろんな不都合が起きるのです。
風花と公園で遊んでいて、企業向けの新しいプログラムが閃いたり。
メグと話しながら「コミュニケーション」のことをぐっと考えてみたり。
友だちと話ながら、「生きていくってどういうことか」を深く感じ入ってみたり。
あの感じは「仕事だから」「プライベートだから」と「区別(文字通りの区別)」をしてしまったら生まれてきません。
そして「この感じ」が学ぶ場をつくる、という僕の仕事に磨きをかけています。
ダニエル・ピンクさんは著書『ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代』でこんな3つの問いを僕たちに投げかけています。
Q1.他の国ならもっと安くやれるだろうか
Q2.コンピュータならこれをもっとうまく早くやれるだろうか
Q3.自分が提供するものはこの豊かな時代でも需要があるだろうか
僕が今している仕事、「人と関わる体験を通して学ぶ」という仕事に当てはめて考えてみます。
【Q1.他の国ならもっと安くやれるだろうか】
これはどうだろう?
わからない。
もっとも僕の仕事はプロダクトではなくプロセスを提供しているわけだから、価格競争に巻き込まれにくい。
今だって「1時間5万円くらいですよー」とアナウンスしているけど、その価格設定には明確な原価設定がされていないわけですよ。
だって仕事とプライベートの区別がないから。
商品と商品じゃないものの区別も境もないしね。
だから僕のこの仕事をよその物価が安い国でやれるか、ということならば、イエスでありノーであり、実際よくわからないです。
【Q2.コンピュータならこれをもっとうまく早くやれるだろうか】
やれない。
人間は人工的なものから暖かみを感じたり激しく感情を揺さぶられたりはしないと思っているから。
どんなにAIが進化したって、どんなに映画「サロゲート」みたいなことになったって、生身の人間がつくるモノとそうじゃないモノには厳然たる境があるとおもうよ。
教える→教わる
という関係性ならば既にe-learningが該当するだろうけれど、
学ぶ⇔学び合う
という本間先生の言うLearninig by Doing であれば、あるいはrelationship-based Learning だとするなら、コンピュータのはできない。
人類の進化しつつある脳と同じスペックのPCなら可能性は否定できないけどね。
【Q3.自分が提供するものはこの豊かな時代でも需要があるだろうか】
イエス。
物質的に豊かだけれど、みんな孤独なんだよ。
人と人が繋がること、関わりを持つこと、そしてそこから何かを学ぶこと。
人は一人では生きていないこと、水や火や土や木に囲まれて僕たちは生かされているということ。
僕たちはつながりを強く求めている。
twitterの利用者が爆発的に増えていること、次々とコミュニケーションの道具(iPhone,iPad,Kindle、などなどなど)が生まれていること。婚活の流行。社会起業家という言葉が取りざたされていること。
なんてことはない、僕たちは「関わる」ことはしやすくなったけど、「関わりの質を高めること」についてはまったく磨かれてこなかった。
僕の仕事、「人と関わる体験を通して学ぶ」という仕事が、今、求められている。
相変わらずどんな仕事かを人に説明していいかわからないけど、もう、別にいいや。
僕が何屋さんかは、僕と関わった人が決めれば良い事だから。
例によってまとまりのない文章になってきました。
伝えたい事はたくさんあるのだけれど、なかなか上手に伝えることができなくてもどかしいなあ。
仲の良い友だちが、
「Mr.Chirdrenの「名もなき詩」って、あきらのことを歌ってるようだよ。」
って言ってくれた。
「お前バカじゃないの。」って言われてもいいや。
この歌はこの頃の僕の気持ちをぴったり表現している歌だよ。
この頃の僕は、こんな気持で毎日暮らしています。
みなさんは、いかがお過ごしですか?
このしょうもない文章を
いつまでもあなたに捧げます。
チャオ!
名もなき詩
(作詞・作曲:桜井和寿 編曲:小林武史 & Mr.Children)
ちょっとぐらいの汚れ物ならば
残さずに全部食べてやる
oh darlin 君は誰 真実を握り締める
君が僕を疑っているなら
こののどを切ってくれてやる
oh darlin 僕はノータリン 大切な物をあげる
苛立つような町並みに立つたって
感情さえも リアルに持てなくなりそうだけど
こんな不調和な生活(くらし)の中で
たまに情緒不安定になるのだろう?
でもdarlin 共に悩んだり
生涯を君に捧ぐ
あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら 僕だってそうなんだ
どれほど分かり合える同志でも
孤独な夜はやってくるんだよ
oh darlin このわだかまり きっと消せはしないだろう
いろんな恋を踏み台にしてきたけど
なくしちゃいけない物がやっと見つかった気がする
君の仕草が滑稽なほど
優しい気持ちになれるんだよ
oh darlin 夢物語 逢う度に聞かせてくれ
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
気がつけばそこにある物
街の風に吹かれて唄いながら
妙なプライドは捨ててしまえばいい
そこからはじまるさ
絶望、失望(down)何をくすぶってんだ
愛、自由、希望、夢(勇気)
足元をごらんよきっと転がってるさ
成り行き任せの恋におち
時には誰かを傷つけたとしても
その度心いためる様な時代じゃない
誰かを想いやりゃあだになり
自分の胸につきささる
だけど
あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついてゆく
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら誰だってそう 僕だってそうなんだ
愛情ってゆう形のないもの
伝えるのはいつも困難だね
だからdarlin この「名もなき詞」を
いつまでも君に捧ぐ
:)
初めてコメントさせていただきます。
Twitterでも相互フォローありがとうございます。
「人と関わる体験を通して学ぶ」という言葉に共感します。
長尾さんの経歴を観ながら、共通点がありました。
修了された大学院の学部で球技運動学を学んでおりました。
野外研究室も、お世話になっていたので嬉しい繋がりがあるものだと思っています。
私も4月から新生活(荒波かも)に突入しますが、自分がハブになったらいいなぁと思って活動をします。
是非、今度、お会いしましょう。
投稿情報: kuwaman | 2010年2 月25日 (木) 08:56
こんにちわ!
AKIRAお元気ですか?
僕は今日もあるがままにイキイキ活きています!
ポジティブAKIRAに学ぶこと沢山あります。
これからもお互いがんばりましょうねッ!!
自分が自分らしくいれること。
家族、友人の大切さ。
感謝、感謝の毎日ですなッ!!
投稿情報: JUN-SAN | 2010年2 月28日 (日) 01:01