あっという間に季節は秋になっていて、気づいたら3月11日から200日が経っています。
日々の慌ただしさと気忙しさに追われ、気づけば10年続けていたこのブログも半ば放置気味。
でもそれでもいいかなと思っていて、今日は書きたくなったので書いています。
プロジェクト結コンソーシアムで活動し始めて5か月。
現在が石巻の湊水産株式会社を事務所兼宿泊所としてお借りし、15期に渡って主に東京からボランティアを送って活動しています。
4月2日、最初に石巻に入った日。
偶然の出会いで、ポートレイトフォトグラファーのたかはしじゅんいちさんと石巻に入りました。
7月25日は、たかはしさんと4月に回った場所を改めて訪れた。
(撮影:長尾彰)
志津川中学校からの眺め。
この前日、志津川中学校のグラウンドではフジテレビの27時間テレビの中継が行われていた。
校庭ではゼッケンを来たボランティアと思しき人たちが、30名くらいで片付けを手伝っていた。その時はフジテレビの手伝いをしているなんてわからなかったけど、後日、ちょっとした問題になったことを知った。
(撮影:長尾彰)
「がれきの撤去」ではなくて、「がれきの移動」をしているのではないだろうか。
とにかく一か所にまとめている。
絶えず重機がコンクリートをさらう音が聞こえてくる。
(撮影:長尾彰)
歌津中学校の脇には、ハーバード大学と慶應大学が連携したプロジェクトの一環で、「小屋」が作られていた。
幾人かの若者が、熱心にノミやカンナをふるっていた。
(撮影:長尾彰)
「小屋」は「小屋」として建てているのだけれど、一部は「コミュニティつくり」のための場所として使われる予定とのこと。
プレハブの集会所と違って、木のぬくもりがあって、やさしい。
(撮影:長尾彰)
7日間で建ててしまわなければならないので、急ピッチで作業をすすめているとのこと。
地元の大工さんは忙しくてつかまらなかったので、京都から知り合いの職人さんを呼び寄せたそうだ。
(撮影:長尾彰)
表側からみた様子。
(撮影:たかはしじゅんいち)
↑この写真は4月2日の清水浜駅の様子。
(撮影:長尾彰)
↑こちらは7月25日、同じ清水浜駅の写真。
仙石線の再開には、数年かかりそうです。
JRは内陸部を通った新しい路線を計画している、との報道も。
(撮影:長尾彰)
写真家、たかはしじゅんいちさん。
選ばれたポートレイトというのは、その人の表情から「何か」を見ているわけで。
じゅんさんの写真からは、なぜかその人の「何か」があまり伝わってこない(僕は)。
そのかわり、その人そのものの、写真を撮られたときのその瞬間の「かたまり」みたいなものが伝わってくる。
意図的過ぎない、質量のあるじゅんさんの撮る写真が好きだ。
じゅんさんがカメラを手にして歩いている後ろを、安物カメラを手にした僕がついていく。
撮るものは似ているようでいて、まったく違う。
(撮影:長尾彰)
流されてしまった町立保育園の門前に、スイカが成っていた。
去年の夏は、子どもたちはこのスイカを食べていたんだろうか。
梅雨が明けてから、津波に襲われた場所は緑に覆われた。
それまではモノクロだった景色が、緑で覆われて、時間と季節が過ぎていくことを否応なしに示されているようで、胸が苦しくなった。
植物は強い。
(撮影:長尾彰)
女川の清水町、4月3日の様子。
あのときはまだ、自衛隊が捜索活動を続けていた。
海から2キロぐらいのところ。
(撮影:長尾彰)
今は人影も、車の通りも少なく、このアパートも取り壊しが始まっている。
がれきも撤去され、この一帯は何もない。
継続して被災地に入っていると、季節の移り変わりや「片付け」の進み具合を体感できる。
「あんなにひどかった場所がこんなきれいになって・・・」という思いと、「何もなくなってしまった・・・」という思いが交互にやってくる。
またこの土地で、人が暮らすことができるようになるのだろか。
7月の段階で、「日本をチームに」とか「Pray for Japan」とか、あちこちで耳にしたセリフはぱったり消えた。
テレビでは届かない、「コミュニティ(地域)がなくなってしまったこと」が実感をもって迫ってくる。
興して復す「復興」どころか、旧きに復す「復旧」にはまだ程遠い。
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