一人になって何かの仕事をするときには、たいてい音楽を聴いています。
僕は固定されたオフィス、というものを特に持っていないので(強いてあげるなら自宅の仕事場)
ノートパソコンがあれば大抵の仕事を片付けることができます。
もちろん自宅で仕事をすることもありますが、ムスメという最大の誘惑があるので「作業仕事」はできますが「思考仕事」ができません。
できませんじゃないだろう、やらないだけだろうとの声も各方面から聞こえてきますが、「できない」というのが偽らざる心境なわけです。
「思考仕事」をするためには、外界と自分との間に蓋をする必要があります。ぱたん、と。
僕という脳みその中に入って行って、そこにあるものを見つけなければならないのです。
脳みその中に入るためにはやはり、蓋をしなけらばならないのです。
イメージとしては、この蓋を閉めると同時に脳みそのドアが開くのです。
「作業仕事」は思考を必要としないので、蓋を閉める必要がありません。家でする仕事はこの「作業仕事」が8割を占めています。
残り2割が「思考仕事」なわけですが、せっかく蓋を閉めてドアを開けたのに、閉めた蓋を強引にこじ開ける人がいます。
そう、ムスメです。
そのたびにストレスを感じます。
ほら、たった今も相棒が階下から「お散歩がてら、風花とスーパーにお買い物に行こうよ!」と声をかけてくれました。
ドアが閉じられ蓋が開いてしまいました。
でもこれは相棒が悪いのではない。
僕が悪いわけでもない。
蓋を閉めるのとドアを開けることを同時にやるのはある種の「こつ」が必要だし、ぐっと精神を集中する必要もあるからです。
それなのにせっかく閉めた蓋をこじ開けられ、やっとの思いで空けたドアを閉められてしまうと、なんだよ、と思うのが人情です。
ちなみにこの文章を書くことは「思考仕事」です。
誰かに対して何かの文章を書くことは、アマチュアであるとはいえ、言葉を選び反芻し、表現を選択しなければならず、
自分のために思考をしなければなりません。
好むと好まざるに関わらず、外の世界に向かって何かを発信する、というのはそういう責任が伴うものだと思っているからです。
僕にとっていかに「思考仕事」が大切なものなのか、ご理解いただけましたでしょうか?
さて、本題に戻ります。
蓋を閉めてドアを開けるために有効なものは音楽です。
天井の高さや空気の良さなどもポイントになりますが、それはこの際脇に置いておきます。
音楽がキーになる、ということです。
iPodという道具があるので、それに音楽を詰め込んでイヤホンを耳に入れておでこのあたりに「くっ」と力を入れると蓋が閉まります。
そして後頭部のあたりに「ぐっ」と力を入れるとドアが開きます。
ドアが開けば調子が良ければ3時間、悪くても30分はノンストップで思考をすることができます。
蓋を閉めるのに具合のいい音楽と、具合の悪い音楽があります。
同じようにドアを開けるのに具合のいい音楽と、具合の悪い音楽があります。
何が具合が良くて何が具合が悪いかはその日の僕のありようによって変わります。
今日はKeith JarrettのThe Koln Concertです。
ピアノの即興演奏です。これで蓋が閉まり、ドアが開きました。
昨日はJimi HendrixのExperience Hendrixの4曲目あたりで蓋が閉まりました。
一昨日はウルフルズのサムライソウルでドアが開きました。
このように、きちんとした意思表明のような一貫性はありませんが、何かが蓋を閉めて何かがドアを開けてくれます。
ちなみに「作業仕事」をする時にはAMラジオを聴きます。
そうです、ニッポン放送です。
音楽はやはり素晴らしいものだとつくづく思います。