僕の兄貴、てっちゃんの奥さん、ちゃーりーが亡くなった。
僕と同い年。1歳の息子を持つ母、結婚して2年の妻だった人。
てっちゃんは20年の付き合いになる。
僕が小学5年生、てっちゃんが高校1年生。
それ以来、僕はてっちゃんにくっついて歩いて、いっしょに企てて、23才までいっしょに進んできた僕の兄弟です。
そのてっちゃんの奥さんが亡くなった。突然。原因は知らない。
かける言葉も見つからなくて、ただ僕はお通夜とお葬式の席に足を運ぶことしかできず、 土気色して横たわっているちゃーりーの顔を見ても実感が湧かず、その横で青ざめているてっちゃんの顔を眺めながら涙を流すしかできない。
斎場で火葬を待つ間、ちゃーりーのお父さんと話す機会があった。
てっちゃんが選んだちゃーりーのお父さんだけあって、素晴らしい強さを持ったお父さんだった。
「残された俺たちがどう生きるかが大切だよな。どんなかたちであれ、あんたがてっちゃんの弟っていうんなら、俺の息子も同然だよ。」
「ともだちに恵まれてる奴に悪い奴はいない。そんな男に娘をあげて正解だったよ。後はてっちゃんを頼むな。」
僕が娘を亡くしたときに、まさに骨になろうとしているときに、そんな話を見ず知らずの人間にできるだろうか。
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
そうだ、その通りだ。
死に向かって僕らは生きているわけではない。
カウンターパートとして存在してるわけじゃない。
だからきちんと生きなければ、きちんとした死はやってこない。
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