さて、いじめのこと。
僕はいじめる側だったし、いじめられる側でもあった。
口ではとても言えないようなひどいことを、集団で人目につかないところでやった。
一言ではとても語れないようなひどいことを、集団から人目につかないところでやられた。
そしてその傷は今も僕の体に刻まれている。
それをふまえて、僕の考え。
いじめは苛めであり、虐めでもある。
平仮名で「いじめ」と表現するほど軽い現象ではない。
本質的に虐めはなくならないと思っている。
なぜなら僕はいつも何かを虐めながら生きているからだ。
虐める対象は人間だけではない。
僕は自然を虐めて、動物を虐めて、植物を虐めて生きて
いる。連鎖の中で生きている動物の一種なので、これからも虐め続けるだろう。
だから、虐めはこの世からなくならないことを知っている。
この世からなくならない、根絶できないことを知っているから、どうやってそれを防ぐかを考えることが出来る。
考えることができるから、それを行動に移す力を持っていることも知っている。
昔の人もそれを知っているから「自分がしてほしいことを他人にしろ」という教えが原理原則としてこの世に残っていると思っている。
虐める側も、虐められないために虐めている場合がある。
生存する為の虐め・支配欲を満たす為の虐め・優越感を満たす為の虐め・集団をコントロールするための虐め・責任の所在を他責にするための虐め。
虐めにも種類があって、生存する為の虐め以外は防ぐことができる。
僕が虐めていたのは、支配欲を満たす為と、虐められないようするためだった。
幸い僕には帰る家があって、家族がいて、温かい食卓があった。
虐めて帰った日も、虐められて帰った日も、なぜか罪悪感が澱のように胃に残ったままだった。
そして虐められても次の日は学校に行った。そしてまた虐められた。
虐められたくないからだった。
虐められることで、痛みを知った。体の痛みと心の痛み。
あごを殴られると、3日は噛む事が苦痛になる。
下手に頭を振って耳を殴られるほうが痛い。
筋肉で覆われている部分は、殴られても力を入れていれば痛くない。
きんたまを蹴られると呼吸ができなくなる。
集団で殴られている時は謝ると逆効果。
どこを殴られてもいいように、顔(目線)は下げてはいけない。
心の痛み。
心の痛みは、なんだろう?
僕にはたぶん、虐められるプロセスでプライドが身についたんだと思う。
「もう人を虐めない」というプライドが持てた。
虐められる人の気持ちがわかった。
先生と両親や同級生は、僕が後輩を虐めていたことを知っている。
後輩をぶん殴って、それが明るみになって、その後輩の家に謝りに行ったことがあるからだ。
そしてその後輩の家の土間で、僕と、一緒になってぶん殴った同級生とで土下座した。
お袋は、何も言わなかった。親父は、「悪いことをしたと思うか?」とだけ聞いた。
先生も、両親も、兄弟も、僕が虐められていることは知らなかったと思う。
虐められていたことは、ここでこうやって表現するまで、誰にも話したことがない出来事だからだ。
期間は6ヶ月ほど。
中学2年生の10月から3月まで。
家庭では満たすことができなかった支配欲。
「自分の思い通りに人の優位に立つ」という気持ち。
プライド=自尊心と自信のなさの現われとしての暴力。
高校に入ってから、虐める・虐められるということはなかった。
けれど、危うい一面はあった。
石黒くんという同級生がいた。弱弱しくてなよっちくて、勉強はできるけどスポーツはだめ。
「石黒~、メロンパン買って来い!」「えーやだよー。いっしょにいこうよー。」
こんな会話が日常で飛び交っている関係。
石黒を虐めなかったのには理由がある。「えー、やだよー。いっしょにいこうよー。」というセリフを聞いていたからだ。
「ふざけんな、自分で行け!」でもなく、黙って言うとおりにするわけでもなく、「一緒に買いに行く」という行動を彼は選んだ。
無意識に発した一言なんだろうが、僕の気持ちを満たすセリフだった。
僕は「勉強はできない、でもスポーツはできる、運動部、悪ぶっているけれど悪じゃない、女子にもそこそこもてて、とにかく楽しいことのためには悪ふざけする」グループに属してい
た。
このグループの特徴は、「やるときはやる」男子の集まり(15人ほど)であること。
運動会、球技大会、教室でのリーダーシップ。
自分たちの楽しみの欲求を満たすような目標には、抜群のパフォーマンスを示すタイプ。
石黒くんはそんな僕たちのグループに入りたかったのかもしれない。
修学旅行の夜、ちゃっかりそんな僕らのグループに石黒くんも潜り込み、宿舎の部屋も同じだった。
当然、プロレス大会が始まる。
プロレス、なんて甘いもんじゃない。
360日、1日10キロ走り1時間の筋力トレーニングを欠かさない高2男子の集まりだ。
柔道部のAくんやOくんに関節技を教わる。
Aくんは当時はしりだった総合格闘技に目覚め始めていて、関節技にとても詳しくなっていた。
腕ひしぎ十字固め・アキレス腱固め・スリーパーホールド。
そして首投げ・ブレーンバスター。「キン肉バスターってどうやるっけ?」大騒ぎが始まる。
スリーパーをかけられたK君などは、「落ちた(=失神した)」ほどだ。
当然、その部屋にいる石黒くんも標的になる。
僕が石黒にキャメルクラッチから4の字の連続技をかける。
「いててててて!」と石黒くんは叫び、「本当にギブだったらタップしろ!」と叫ぶ僕。
悲しいかな、「タップ」の意味がわからない石黒くん。(タップ=参った、の合図のことです。体のどこかを手でとんとん、と叩くこと)
そして痛みに耐えかねて「やめろ~!」と叫んで泣き出す石黒くん。
そこに、担任の影山先生が入ってくる。
影山先生は体育の教員で、野球部の監督。
自身も甲子園に出場している、そんな人物。
部屋に入るなり、「おまえら、うるさい。何だ、石黒、泣くな。男だろ。修学旅行に来て部屋で暴れなくてどうすんだ。」
今の時勢だったら、問題になるであろう生徒である僕の行為と教師である影山先生の発言。
その時の僕たちには「虐め」ているみじめさや底暗さがなかった。
「へーい、すいません。もう終わります。」と僕。
「だって痛いんだもん・・・。」と石黒くん。
このエピソードが何を語るか。
現象は虐めだとしても、そこに関係性があるかないかで、それは虐めではなくなるということ。
つまり、僕は石黒くんを認めていた。
存在として、きちんと認めていたのだ。
石黒くんも僕を認めていた。
頼りたい、じゃれあいたい仲間として僕を認めてくれていたのだ。
じゃあ、なぜ僕は石黒くんを認めていたのか。
それは僕が僕自身を認めていたから。
そして、虐める側だったときの僕は、自分を認めていたなかったのである。
成長するにあたり、できないことができるようになった。
虐めていた時は、「なにができるのか」「自分が何なのか」がわからなかった。
つまり、自分がわからなかった。
そして虐めて、暴力で他人を支配することで自分の中の「確かさ」を手に入れようとしていた。
心身ともに成長し、環境が変わり、やることが変わったことで僕は自分の中の確かさを暴力や虐めで確認することをやめて、その代わりに部活(バスケットボール)に打ち込むことで自分の確かさを確認することができた。
だから、他人を認めることと自分を認めることができた。
そして、石黒くんを「虐め」ることを遠ざけることができた。
危うい一面はあるし、そもそも石黒くんに「ねえ、本当は虐められていると思った?」と聞いていないから石黒くんの気持ちはわからない。
でも、卒業式の日に、「じゃあね、ながおっちゃん。お互いがんばろうね。」とまた涙をこぼしながら僕に握手を求めた石黒くんが、僕を否定していたとも思えない。
世の中から虐めをなくすためには、どうしたらいいかと考える。
自分という存在を確かめる為に、暴力ではなくて他人との関係性を築くことに昇華させてあげればいい、と思う。
僕にとってその手段は、組織キャンプと部活動だった。
直接体験。
やればやっただけ、結果が定量的に目に見えること。
例えば登山。
自分の足を動かせば前に進む実感値。
バスケ。
練習をすればしただけ試合に勝てる自分の体の変化。
これらはつまり、自立するということ。自立とはすなわち
自分のことは自分でやる。
傷つけない。
よーく考える。
この3つだと考えている。
だからこそ僕は教育の世界(大人・子ども関わらず、企業・学校の区別なく)に身を置いて、今の仕事をしている。
学校教育の現場に少しだけ関わらせてもらう立場から話をさせてもらうと、これ以上学校教育に期待をするのはやめたほうがいい。
表現を変えると、教員に過度な期待をすべきではないということ。
第1に、システムが今の我々の生活や思考・行動スタイルに合っていない。
1人の教員が40人の生徒の心の襞まで把握することは、多分、不可能だと思う。
把握している教員も、いる。
なぜか。
僕の知っているその教員は、教師とは役割ではなく生き方だと自分に「決めて」生きているからだ。
教授法がどうこう、カウンセリングスキルがどうこうの問題ではなく、自分の存在意義=在り方を教師という生き方に「決めて」いるから、生徒を認めることができている。
第2に教師として「生きる」ことができる人材を育成するシステムがない。
教員免許や大学の仕組みうんぬん、ではなくて、広く社会全般に目を向けた場合の「育成システム」がないからだ。
今回の福岡、奈良の件についても、じゃあ残された人間たちがどう生きて、なにを学んでいくべきか、それをどう他の生徒に伝えるべきかといったことは、当事者では語られていないように思う。
少なからず僕が手にしている情報の中では。
福岡の担任教師は、入院して懲戒されておしまい。
この担任教師が残された者として、どう人間として再生し教員としての務めをまっとうするべきかなど、当然ながら語られていない。
僕の友人であるしんのすけは、民間企業から横浜市の公立中学校の校長に転身したという人生を送っている。
彼の発するメッセージに、「成功より成長」という言葉がある。
目に見える「成功」よりも、自分の確かさを確かめる「成長」が大切だという考え方。
大いに賛同している。
そして、この考え方は世論(今日の社会のシステム)とは逆行しているように思える。
同じく、「成長にコミットメントする」ことは今日の学校教育システムとも逆行している。
具体的にしんのすけから事例を聞いたわけではない。
しかし彼の学校を訪問し空気を読み職員室を覗いたかぎりでの情報量で判断することは早いかもしれないが、少なからずその成功と成長への教員・生徒とのギャップを感じることはできた。
これはしんのすけが努める学校のみならず、僕が関わっているいくつかの学校内に漂う雰囲気に共通している「ギャップ」だ。
おお、気付けば東の空が白んできたぞ。
今日はもう寝よう。
僕はこの「虐め」をなくす為に、行動する。
僕は相棒と僕の両親と相棒の両親とムスメに関わるたくさんの人たちと手をとって、きちんと躾をする。
「ならぬものはならぬのです。」と伝える。
「お父さんのようになりなさい。」と胸を張って子どもに言える人間であるかどうか、を常に自分に問う。
だって、みんな幸せになりたいものね。