ムスメ1号(3歳3ヶ月)は、自分以外の人間との関係が、「緊張状態」になるとおどける。
無理しておどける。
本人もかなり無理をして(いるように僕は感じる)、変な顔をしたり変な事を言う。
自分が思い通りにいかないとき、というよりも、相手の望む状態にならないであろうと察知した瞬間におどける。
相手が大人であれ、子どもであれ。
「○○ちゃん、このクマさんのぬいぐるみ、かしてくれる?」
「・・・、だめ!これわたしのだもん!」
「・・・。」
「・・・、・・・、へっへー、へんなかおだよーん、くねくね~」
こんな具合に。
僕との間でもそうだ。
「おとうさん、おかしたべたいー。」
「もうすこしで夕ご飯だね、今おやつを食べるとおいしい夕ご飯が食べられなくなっちゃうじゃん?だからさ、おやつよりも夕ご飯をいっぱい食べようよ。
「ええー、たべたい~。」
「どうしても我慢できないの?」←この言葉を発する僕の表情は「少し真剣」「たしなめる、といったニュアンス」
「・・・。」
「・・・、・・・、へっへー、へんなかおだよーん、くねくね~」
道化。
わたしはこうしたい。
でも相手はそれを望んでいない。
自分の心にはストレスと(もちろん彼女はそれが「欲求不満だから起こる」なんてことはわからない)、相手との関係性に緊張(もちろん彼女にはそれが「緊張」と名がついた状態だということはわからない)が生まれる。
でも、敏感に感じ取る。
変な顔をすると相手が笑顔になる、というのを3年間の人生で学んだからだ。
だから少し無理をして道化る。
「わたしが相手を笑わせること」で関係性をもとの状態に戻そうとする。
そんなムスメ1号を見て、僕は激しく動揺する。
なぜか。
今の僕自身とまったく同じだからだ。
心の動きや、行動にいたるまでのプロセスや、そこでとる行動について、僕とまったく同じだからだ。
なんてことだ。
まったく、なんていうことなんだ。
無理をして道化る風花を見るのがつらい。
道化る直前の「・・・。」になっている心は、「どうしよう、どうしよう、どうしよう」という不安でいっぱいなはずだから。
「・・・。」になっている体は、視線はさまよい、肩に力が入り、相手が発しているメッセージを必死に受け取ろうとしている。
この道化は失敗に終わることが多い。
僕の目の前で道化るときには抱きしめてあげることができて、諭す、話すということができる。
でも、僕以外の目の前で道化るときには、何もしてあげられることができない。
そのときの○○ちゃんの反応は、無視をするか、その場から立ち去るか、「なにやってんの?という蔑みの視線を送るかのどれかだ。
もちろん、何回に1回かの割合で、風花が道化ることでいっしょに笑ってくれる友だちもいる。
いずれにせよ、僕と同じ心のパターンであれば、道化るときは彼女は傷つき、損なわれている。
僕がそうであるように。
でも、そうすることで学んでいくはずだ。
僕がそうであるように。
今も、僕がそうであるように。
いっしょにいられる時間は少ないけれど、心はいつもそばにいるぞ、風花。
しかし、なんてかわいいんだ・・・。
投稿情報: ブレ | 2009年2 月24日 (火) 00:32